ハワイの歴史
カラカウア王 -David Kalakaua-1836年 - 1891年
カラカウア王の肖像画
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写真提供:ビショップ博物館
カラカウア王はハワイ王国第7代国王(在位1874年 -1891年)。
その華やかな生活から「メリー・モナーク(陽気な君主)」とも呼ばれています。
日本を訪れた最初の外国元首でもあります。
カラカウア王は、1836年にホノルルで生まれました。母方の祖先がカメハメハ大王の最高位の神官(カフナ・ヌイ)を勤めたという高貴な血統を持ち、マウイ島ラハイナにあった当時の国王であるカメハメハ三世の宮殿の一つで育ちました。成長後、カメハメハ四世の側近となります。1872年にカメハメハ五世が跡継ぎを指名しないままに亡くなった際に国王選挙に臨みましたが、この時はルナリロ王に敗れています。しかしルナリロ王も1874年にやはり後継を指名せずに逝去した際に、再度立候補し、対立候補であったカメハメハ四世の未亡人、エマ女王を破り、ハワイ王国の第7代の国王となりました。
カラカウア王の肖像画
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写真提供:ビショップ博物館
国王としてのカラカウア王は、ハワイ経済のためにアメリカとの交渉を積極的に行い、1875年にはアメリカにハワイ産砂糖の輸入の自由化を認めさせています。また激減していたポリネシア系住民の代わりに砂糖きび農園の労働者として、外国からの移民を市民として受け入れる政策を掲げましたが、このことはハワイの経済を握っていたアメリカ系商人の不評をかうことになり、後の反乱につながることになります。
カラカウア王の肖像画
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写真提供:ビショップ博物館
カラカウア王は1881年から外交関係の改善と移民問題について学ぶため、十ヶ月間に渡る世界一周の旅に出ます。最初の訪問国であった日本では明治天皇と会見し、移民の要請を行うとともに、姪であるカイウラニ王女と日本の皇族との結婚を要請しました(この要請は明治政府に断られています)。日本訪問後、カラカウア王は中国、シャム(タイ)、ビルマ、インド、イタリア、ベルギー、ドイツ、オーストリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリスを歴訪し当時のローマ法王レオ十三世やイギリスのヴィクトリア女王とも会見しました。
イオラニ宮殿の敷地にある戴冠式台
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写真提供:ビショップ博物館
ハワイに戻ったカラカウア王は、1882年に竣工したアメリカ唯一の宮殿であるイオラニ宮殿をカピオラニ王妃との住居としました。翌年にこの宮殿で戴冠式を行います。この時にハワイ各島からカフナ(神官)を集めて、古代から伝わる伝承・歴史を書きとめる作業を行いました。秘密とされていたハワイの創世神話叙事詩「クムリポ」もカラカウア王により公表され、世に知られることになったのです。この戴冠式に合わせて除幕された、ハワイ諸島を統一したカメハメハ大王の銅像の建立もカラカウア王が決定したものです。
カラカウア王の主導したフラや古代伝承の復興により、ハワイ文化は再評価をかち得ることになりました。ヨーロッパの音楽とも結びついたハワイアン・ミュージックも生み出すことになり、カラカウア王自身、現在もハワイ州歌となっている「ハワイ・ポノイ」を作詞しています。
しかしながら、このようなハワイの伝統の復活や、カラカウア王が構想したポリネシア諸国との連合は、アメリカを中心とする白人勢力との対立を激化させることになります。1887年には後にハワイ共和国大統領となるサンフォード・ドールらのハワイ連盟が、王の退位、王政の廃止とアメリカへの併合を求めて武装蜂起、カラカウア王は退位の代わりに、新しい憲法を受け入れざるを得なくなりました。銃剣憲法ととよばれるこの憲法では、富裕なアメリカ・ヨーロッパ系住民の参政権が劇的に強化され、ハワイ系やアジア系の住民の選挙・参政権は大きく制限されることになります。
カラカウア王は1888年に「ハワイの伝説と神話」という著書を出版しますが、政治的な心痛も加わり飲酒量が過剰となっていきます。1890年には体調を崩し、カリフォルニアへ転地療養しますが、既に手遅れであり、1891年にサンフランシスコで五十四年の生涯を閉じました。遺体はホノルルに帰り、イオラニ宮殿に安置された後、ヌウアヌ渓谷の王族墓廟に葬られました。
カラカウア王の晩年は、その愛称である「メリー・モナーク」とはかけはなれたものと言えるかもしれません。しかし、毎年春にハワイ島ヒロで行われる「メリー・モナーク・フェスティバル」が、フラやハワイの伝統の復興に力を注いだカラカウア王の功績を讃える由来であること、また多くのホテルが立ち並び、一年中旅行客でにぎわうワイキキの目抜き通りがカラカウア通りと名づけられていることは、今でもこの王様がハワイの人々に親しまれていることを物語っています。
写真提供:ハワイ州観光局

