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カウマカイヴァ ”ロパカ” ケアリイカナカオレ

プロフィール

カウマカイヴァ ”ロパカ” ケアリイカナカオレ

1982年7月9日生まれの現在25歳。ハワイ島ヒロを本拠地とし、7世代にも渡り火の女神であるペレに捧げる踊りを受け継いでいるハラウ・オ・ケクヒの主要ダンサー。母はミュージシャンとしても有名であり、つい最近ハラウ・オ・ケクヒのクム・フラとなったケクヒ・カナカオレ、祖母はハワイの文化教育者として知られているハラウ・オ・ケクヒの前クム・フラ、プアラニ・カナカオレ、そして曾祖母はハワイ文化の伝承者として著名なイーディス・カナカオレ。ハワイのフラ、そして音楽界のサラブレッドである。


ディスコグラフィー

1.Ha`i Kupuna 2003年春リリース、2004年のナ・ホクホク・ハノハノ賞、ハク・メレ賞受賞
2.Welo 2005年春リリース、2006年のナ・ホクホク・ハノハノ賞、ハワイ語パフォーマンス賞、及び最優秀ハワイアン・アルバム賞受賞
3.Kaumakaiwa 2008年4月初旬リリース予定

「アロハございま~す!」で知られるカウマカイヴァ・ロパカ・カナカオレ。初めて歌手になろう、と決心したのは、母であるケクヒ・ケアリイカナカオレのファーストアルバム「ハハニ・マイ」のコンサートツアーに同行している際でした。ニューヨークが誇るカーネギーホールの舞台袖から観た、ステージ上の母親の輝ける姿を目にしたときなのだそう。

カーネギーホールと言えば、演奏家、特にクラシックの音楽家であれば誰もが一生に一度は舞台に立ちたい、と夢を見るほど格式の高い場所。さすが、ハワイアン・ミュージックとフラ界の「名門」カナカオレ一族の出身であるだけあって、その感銘を受けたシチュエーションはちょっと一般ピープルである私たちの日常では在りえない状況(笑)!

実にその瞬間は今から約10年前の1997年、カウマカイヴァが丁度16歳になったばかりのときに訪れました。それまでは母の音楽活動に伴い舞台などで弟達と歌を歌うということはあったのだが、だからと言って自分はミュージシャンになる、なりたい!という気持ちはまるで芽生えなかったとか。
音楽や芸術と常に背中合わせの環境の中で彼が音楽家となるのは当然といえば当然のように傍目からは思えます。が、信じられないことにロパカはそれまで舞台に出て歌ったりするのが嫌で、母をてこずらせる、いわゆる問題児的な存在であったらしい。面白いことに弟で現在現役のフラダンサーであるウルアウマヒの方が当時母の舞台でソロを歌っていたというのだから人生って本当に予想の付かないものですね。

一番影響を受け又尊敬している人である、母、ケクヒと
一番影響を受け又尊敬している人である、母、ケクヒと

愛称の「ロパカ」の名前でも知られているカウマカイヴァは、5人兄弟姉妹の長男として生まれ、代々ペレにまつわるフラの伝統や秘儀を受け継いできたハラウ・オ・ケクヒの次世代を担う子供の一人として潜在的に育てられてきました。
潜在的、というのは、日常の生活の中に伝統的なハワイ文化に根付いたライフスタイルが共存し、それらがごく自然に受け入れられ消化される環境で育った、という意味です。しかもハワイの伝統的なしきたりに従い実の母方の祖母であるアンティー・プアラニ(先代ハラウ・オ・ケクヒのクムフラの一人)に十代の頃ハナイされ(ハナイ=ハワイ語で養子になる、また家族として扱われることの意。
一昔前までは文化を継承する、と言う意味から孫は祖父母に育てられることがハワイでは当たり前であった)、しっかりと先祖からの知識を継承する布石の中教育されてきたのです。それだけにカウマカイヴァに根付いているハワイアンとしての真髄、そして自分がどこの誰なのかという毅然たる自覚はゆるぎない基盤として存在しつつもロパカのチャームポイントの一つでもあるとびっきりお茶目な天然キャラをしっかりと支える土台となっています。

ミュージシャン以外のもう一つの姿はお家芸であるハラウ・オ・ケクヒのダンサーとしての姿
ミュージシャン以外のもう一つの姿は
お家芸であるハラウ・オ・ケクヒの
ダンサーとしての姿
その基盤の重要な要素の一つとして、やはりお家芸のフラの存在は外せません。7歳から正式にフラを習い始め、「潜在的」から「直接的」なハワイ、そして自分の家に伝わる伝統芸能を学ぶ土俵ができたことがより一層今日のロパカのミュージシャンとしてのスタンス、そして彼が生み出す音楽をユニークな存在にさせているのではないでしょうか。

そんなロパカの母であるケクヒは彼を若くして産んだのでちょっと年の離れたお姉さん的な存在。
彼にとっては全てが憧れの、正にロパカのアイドル的な存在なのだそうです。とにかく「一番大好きなミュージシャン」がケクヒであり、又彼は「ケクヒの一番の大ファン」なのだとか。

その自分の源である大好きな母が、その「転機」の夜、エレガントなホロクー・スタイル(すその長いクラシックなハワイアンスタイル)のロングドレスに身を包み、カーネギーホールの舞台上で最高の照明に照らされ3千人の初対面の観客を一瞬にして全員を魅了し虜にさせてしまった、
「とにかく最高、マジックだ!と思った。そして自分も同じことをしたい、と思ったんだ!」その母の堂々たる姿はロパカを鼓舞させ音楽の道を進めさせる決意をもたらすに十分な感動を与えたのでした。自分は「母の副産物なのだから大丈夫」、という気持ちと「自分が世に伝えたい考えには十分価値がある」、という気持ちが彼を前に突き進めさせる原動力となったのでした。

地元のハワイ大学ヒロ校では音楽を専攻。クラシックの男性コントラルト声域の持ち主であることからフォルセット・スタイルの発声方も合わせクラシックの声楽の先生の下指導を受け、お陰で高域から低域まで普通の人の倍以上の4~5オクターブの音域を発声できるようになりました。普段の自分の声域は高域ですが、チャントを唱えることでより低い音域で発声することが必要とされ自然と声域の幅を広げることにも繋がっていたわけです。
彼の特筆すべく才能はカリフォルニア芸術大学から全額奨学金のオファーを受けるほどで、ヒロから西海岸へ転学する予定も立てていました。が、そこでもうひとつの転機が訪れます。ちょうどその夏、大好きな母方の祖父が亡くなり、予定通りカリフォルニアに行き実家を離れて勉強を進めるのか、それとも家族の元に残り地元で勉強に励むのかを選ばなくてはならなくなりました。
本来ならば迷わず本土に渡っていただろう自分が、家族の死を通じハワイという土地とその人々とつながっていることの大切さを深く考えなくてはならなくなった。これは「自分がハワイに残る必要があるからこのタイミングで物事が起こっているのだ」と解釈し、結果ロパカはハワイに残ることを決めたのでした。
そしてまだ大学に在学中にリリースしたCD「ハイ・クプナ」がいきなりその年のハワイのグラミー賞と言われている「ナ・ホク・ハノハノ賞」の「ハク・メレ賞」(作曲家に与えられる賞で、ハワイ語を中心に新曲又はチャントを作曲した最優秀作品に与えられる賞)をアルバム10曲目に収録されている曲「メレ・ハイ・クプナ」で受賞。自他とも認める最高のデビューを飾ったのでした。
2作目、「ヴェロ」は家族や祖先、過去から未来へとつなげていくことの大切さなどを表現した作品。
なんとこの作品はハワイ語パフォーマンス賞、及び最優秀ハワイアン・アルバム賞、という二つのカテゴリーを受賞。二作連続してナ・ホク・ハノハノ賞を受賞してしまう、という快挙を成し遂げたのでした。やはりサラブレッドは違う!と称して表現したくなるのも無理ないでしょう。
そして4月初旬には待望の3枚目のアルバムがリリースされる予定です!タイトルは「カウマカイヴァ」。現在レコーディングの真最中なのだそう。自分の名前をCDのタイトルに選んだ所以は「一枚目はデビュー作ということで、自分の才能を披露する必要があるアーティストとして一年生のアルバム、2枚目はお次はどうだ、と一枚目を上回らなくてはいけない内容のアルバム、3枚目はやっと自分のアーティストとして確立させた本来の自分を表現できるアルバムであることから、タイトルは僕の名前を使うことにしたんだ」ということです。
そして今回は今までとは変わって英語での作詞作曲の作品もあるのだとか。本当に楽しみです。

伝えたいことがあるから歌う、というロパカの熱唱
伝えたいことがあるから歌う、というロパカの熱唱
これからの展望は?という質問にこれまたとびっきりビッグでお茶目な答えが返ってきました。まず本家本元のグラミー賞でハワイアンとして初のパフォーマンスをしたい!ということ。それはあくまでも自分の目指すところは頂点を、という心意気、そしてハワイアン・ミュージックはただのリージョナル・ミュージックではなく、万人を魅了することのできる素晴らしい音楽なのだという自負、なのだと思います。
それから、自身の「マハロございます!」ブランドを作り、ロパカの発案した名句「マハロございま~す!」をプリントしたTシャツなどを作って売りたいのだとか。本当に笑わせてくれます。
でもこれ大ヒット間違いなしだと思うのでこれも合わせてお楽しみに。

それでは最後に、ここまでご拝読いただきまして誠に「マハロございました~!」
お後がよろしいようで・・・♪

吉田玲子

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