マウイ島で生まれ育つ。1980年に独自のハーラウ、ハーラウ・ケアラオカマイレを創立。1994年にデビュー・アルバムをセルフ・プロデュースし、「カヴァイプナヘレ」をリリース、ハワイ音楽業界史上歴史に残る売り上げを記録。その後リリースしたアルバムはナ・ホク・ハノハノ賞を合計で19個も受賞する、という偉業を成し遂げた。クム・フラとして、又ミュージシャンとして最も注目されているハワイアン・スーパー・スター。
- Reiko:
- 今日はワークショップの合間にお時間を作っていただき有難うございました! 先ず最初に、簡単な家族構成からお話ししていただけますか?
- Keali'i:
- 僕はマウイ島の北側に位置するパイアという町の近くの、母方の祖父母が住んでいた海に面した家と、両親の住んでいた西側のラハイナの二箇所で育ったんだ。
父は純粋なドイツ人、母は純粋なハワイ人で、父がシェフとして働いていたレストランで、母がウェイトレスをしていた頃、二人は恋に落ちたんだよ。
- Reiko:
- ロマンチックですね~!
- Keali'i:
- それに僕には、15歳年の離れた妹がいるんだ。
妹が生まれる前まで僕はけっこういい暮らしをしていたんだけどね、彼女のお陰で一変してしまった(笑)。
- Reiko:
- ケアリイさん、と聞くと先ず思い浮かべるのは、舞台上で歌い、踊っていらっしゃる姿です。音楽とフラを交えて演出されるのはなぜですか?
- Keali'i:
- それは僕にとってフラが先ず一番だからなんだ。音楽のインスピレーションはフラが基盤となって生まれたものだからね。
それに、歌手としてデビューしたのは大分後になってからだし。多くのシンガーは若いときにデビューするけど、僕は歌手になりたい、という思いは、最初まるでなかったんだよ。ギターだって上手く弾けなかったし。自分のことはミュージシャンというより、ヴォーカリスト、と思っている。ミュージシャン、って普通はギターが弾けて、ウクレレも弾けて、と楽器を自由自在に扱えることだと理解しているからね。なにしろ自分が下手クソだというのも分かってるから(笑)
- Reiko:
- そんな、ご謙遜です!
- Keali'i:
-
自分の短所を良く分かっているってことさ。シンガー、歌手として目覚めたのは、フラを通じてチャントのトレーニングなどをするようになってからだね。
この写真はケアリイ氏がこの記事用に
送ってくださった写真です♪
一生ずっと歌手でいるか、と考えたら多分それは無いと思うけど、一生ずっとフラを続けるか、と考えたら間違えなく有りえる、間違いなく一生クム・フラでいるね。肉体的に続けられるまでフラを教えているだろうね。
- Reiko:
- フラは幾つの時から始めたんですか?
- Keali'i:
- マウイ島のラハイナ・ルナ高校に通っていた14歳のとき。
当時あの高校のハワイアン・カルチャー・プログラムはとても優秀で、その学校のハワイアン・クラブに所属していたんだ。だから僕の一番最初のクム・フラは、そのクラブで教えていた先生なんだよ。
振り返って考えてみると、人生って本当に面白いよね。なぜかというと、その頃の僕は踊りが超下手で、どこかで踊るっていう時は、クラスの生徒達がわざと僕の衣装を忘れたり隠したりして、躍らせないようにしてたんだ!
最初は分からなかったけど、クラスメートの一人に、「お前が下手クソだからわざとやってるんだよ」、っ言われた。14歳の男の子にはちょっときついよね。
- Reiko:
- 感じやすい年頃ですもんね。
- Keali'i:
- だからかなり凹んだし、落ち込んだけど、うちの家族のポリシーとして、習い事は一生懸命やら無ければならない、というルールがあってね。
だからハワイアン・クラブは止めて、本格的にハーラウに入ってフラを習うことに決めたんだ。そこでは基礎や充実したトレーニングを受けることが出来たから、良い体験ができたよ。
高校のハワイアン・クラブのクムは、なんと同じ高校の12年生(高校3年生)の先輩だったんだよ。いわゆるフラの天才児、といわれた人で、7歳くらいの時から当時のフラ・マスターといわれる人から教えを受けていた人だったので、既に17歳でクムとされていた人なんだ。
- Reiko:
- 早熟ですね~!
- Keali'i:
- ペケロ・ベイ、という人で、今はここ、ハワイ島のカウ地方に住んでいるよ。僕の衣装を隠していた張本人(笑)!
それで長い話をまとめると、最初にハーラウに入って数年経ってから、習っていた先生が引越しをすることになり、所属できるところを探さなくてはならなくなった。
その時に高校の時のクムが僕の踊りをたまたま観て、彼のハーラウに入るよう誘ってくれたんだ。彼は自分に先見の目が無かったって言うことが分かったんだね~(大笑)!
- Reiko:
- 面白い展開ですね。
- Keali'i:
- そう、僕の人生はそんな感じだよ。
また高校の時の話になるけど、コーラス部にも入っていたんだ。僕はテノールだったんだけど、そこでも歌が下手だから大きな声で歌うな、と言われてさ、口パクだよ(大笑)!
- Reiko:
- ユニークな個性に周りの人がついていけなかったんじゃないですか?
- Keali'i:
- ま、もうどうでもいいけどね (笑) 。ま、そんなこんなで、僕のクムがまた引っ越す、ということになってね。まただと思っていたら、クムから僕にハーラウを引き継いで欲しい、と言われたんだ。
その頃はクムのアラカイ(アシスタント)として手伝っていたけど、まだクムになるなんて無理だ、と断ったんだ。当時はまだ20歳だったし、ハーラウを率いる自信がなかったんだ。
そうしたら、マウイ島の他のクム・フラ達が「分からないことがあったらいつでも手伝ってあげるからやりなさい」、と皆が後押しをしてくれて。そのお陰で僕はハーラウを引き継ぐ決心をしたんだ。今日まで僕がハーラウを引き継いで、新たに独自のハーラウを設立してなんとかやってこれたのも、皆がそうやって快くサポートしてくれたからだと感謝している。「クム・フラとしては若いよね」といわれるのは始めたのが早かったからなんだ。
- Reiko:
- クム・フラとしてのお仕事は大変ですよね、人間管理から雑用まで全てを考えて、団体を管理していかなければならないんですから。
- Keali'i:
- そう、だからハーラウの一期生には申し訳なく思っているよ。優柔不断だったし、若葉マークそのものだったからね(笑)。
でもクム・フラはそうやって成長していくんだよ。皆そうだと思う。だからどこの一期生も一番経験を積み、苦労をしているんじゃないかな?
現在のハーラウに一人だけ、一期生の時からの生徒がいるけど、今のクラスの生徒達は、先輩達の苦労のお陰で今のような状態でいられる、ってことをもっと理解して欲しいね。
- Reiko:
- それではウニキは受けずに、クム・フラになられたわけですね。
- Keali'i:
- そうだね。ウニキを受けても、きちんとしていない人もいるわけだから、あまり自分ではウニキを受けている、受けていない、ということに関して、こだわりをもっていない。
僕は既に教えたり、振付けや衣装、その他クム・フラとしての全ての役割を十分に経験し、実行してきているからね。実績としては僕はOKなんじゃないかな(笑)?
- Reiko:
- それでは、音楽はどのようなきっかけで始めたんですか?
- Keali'i:
- これもまた偶然の仕業でね。世の中には偶然のようで偶然ではないことって多々ある。
ハーラウの生徒で、元々ハーラウのシンガーとしてやっていた子が、ダンサーとしてとても芽が出てね。
それで僕のアラカイとなり、それからハーラウでも教えるようになった。その子の名前は、ウルヴェヒ・ゲレロ(注:日本びいきであることでも知られている有名なクム・フラです)。
- Reiko:
- へえ~!知らなかった!
- Keali'i:
-
そうなんだ。彼は本当に綺麗な声の持ち主でね。僕が歌えるようになったのも彼のお陰なんだ。僕のハーラウのパフォーマンスでは、彼がいつも歌を歌ってくれていた。 ある日、彼と僕を含める数人で、バンドを結成することになったんだ。そのお陰でハーモニーで歌うことを覚えたし、音を伸ばして歌ったり、色んな歌唱法を実践で教わることができた。
モク・オ・キアヴェ大会のホイケ・ナイトで
オリを詠唱するケアリイ氏
でも、ウルヴェヒが余りにも歌が上手だから、僕は歌手になりたいなんてことは思いもしなかった。チャントを作詞したり作曲をしたり、歌ったりすることは好きだったけどね。
ま、それで、かいつまんで話をすると、1993年のこと。友達が遊びに来てたとき、シャワーを浴びながら歌を歌っていたんだ。それでシャワーから出てきたら、友達が皆「物凄い歌が上手じゃないか!歌うべきだよ!」、「資金繰りは俺達がやるからCDを作るべきだ!」と、説得するんだ。
だから僕は絶対そんなお金が集められるはずがないと、鷹を括っていたから、「じゃあいいよ、お金が集まったらレコーディングするよ」、と同意したんだ。そしたらなんと約束どおりお金を集めちゃったんだよ(笑)!だからやらざるを得なくなってしまったんだ。
- Reiko:
- それで真剣になったわけですね!
- Keali'i:
- そうなんだ。それでもっと曲を作ったり、レコーディングに関してリサーチをしたり。何しろ当時は今みたいにコンピューターがあれば誰でもCDが作れちゃうようなデジタル時代ではない1993年だからね。
だからスタジオへ行って、レコーディングをするだけでも、色々下調べをしないといけなくて。それからカセットのデモテープを作って、各レコード会社へ営業しに行ったんだ。
そうしたら、どの会社からも無理だ、といって笑われたよ。「この業界で成功するのは大変だから止めたほうがいい」ってね。
- Reiko:
- 本当ですか?!
- Keali'i:
- 本当だよ。だから僕達もいよいよ自分達でやらなければいけなくなったので、当時の優れたアルバムを全部参考素材として勉強したんだ。マカハ・サンズとかカジメロ・ブラザーズとか。
そこで気がついたのは、全部共通して同じエンジニアを使っていたこと。そのエンジニアはジム・リンクナーという人。そこである日会ってくれる、ということで、ミーティングをして、僕がアルバムを作りたい、と話をしたら、じゃあ手伝おう、と承諾してくれたんだ。
嬉しかったけど、これで後には引けないぞ!と思ったよ。だってハワイで一番優秀な最高のエンジニアだからね。それで予定以上の資金が必要になって、なんとかお金を集めたけど、やっぱり足りなくて、それを見かねた友達のお母さんが「出世払いよ」といって足りない分を出してくれた。「お金は払えるようになったら返してくれればいい」ってね。
- Reiko:
- 粋ですね~!
- Keali'i:
-
昔はスタジオからミュージシャンから、何から何まで全てが高かったんだ。だから本当にお金が必要だった。しかも全てが前払いだからきつかった。
颯爽とマックで作業をする姿も
一味違ってステキ!
だからあのアルバムはたったの2週間でレコーディングされたんだ。それだけの予算しかなかったから。物凄い有効な時間の使い方だったよ!
レコーディングを終えたのが94年後半で11月にアルバムをリリースすることになった。そこで2000枚のCDと500本のカセットテープ (笑) ・・・そう昔はテープがまだあったんだよね!・・・をプリントしたんだ。その枚数は採算できる数を計算した上で出した枚数で、これだけ売れればいいな、という数字。
僕はバンドもなければ、歌で舞台に立つなんてことも考えてなかった。一回ぽっきりの企画としてやったことだったからね。クム・フラとしてハーラウを率いたり、マウイ島のベイリー・ハウス・ミュージアムのディレクターとしての仕事など、自分の生活のどれにも満足していたんだよ。
アルバムの発売日当日は釣りに行くことにして(笑)、釣りをしながらオアフ島のラジオ局のKPPNを聴いていたんだ。そうしたらいきなり僕のアルバム全曲を、3回もフルで、丸3時間ずっとかけっぱなしにしてくれたんだよ。信じられなかった!普通じゃありえないことだよね。
それで「このマウイ島のクム・フラは誰?」ということになって、一日で全てが完売しちゃったんだ。レコード会社もないし何しろ再プリントなんてことは夢にも考えていなかったから大変だった!
- Reiko:
- 嬉しい悲鳴ですね、すごいですね~!!
- Keali'i:
- 結局ハワイ中のレコード店からオーダーが来て、75万枚追加で納品したけど、それも即売り切れる・・・と物凄い反響だった。
そんなことでしばらくはそれに対応するだけでも大変で。注目されることも嫌だったしプレッシャーがすごくて(笑)もう止めよう、と思ったくらい。 でもジム・リンクナーと僕と友達の3人で会社を設立して95年の1月に、真剣に音楽もやろうと決心したんだ。やはり、またとない人生のチャンスだしね。
経済的にも魅力的だったし!でもいつまでもツアーをしたり、っていうライフスタイルは続けられないよね。自分にとってずっと存在し続けるのはやっぱりフラだから。フラは僕の基礎なんだ。
- Reiko:
- それで音楽とフラとが両立するわけですね。
- Keali'i:
- そう、僕はクム・フラだから、生徒達が踊りを披露し、自分達を表現する場を設けなければならない。自分を表現する、というのはフラのプロセスだからね。
だから僕のコンサートでは、自分達を表現する場として出場してもらっているんだ。前はカメハメハ大会などのコンペによく出場していたんだけど、コンサートをやるようになって両立は難しいから、最近はほとんど大会には出ていなかったね。
- Reiko:
- メリー・モナークにはなぜ出場されないんですか?
- Keali'i:
- 実は今年、初めてメリー・モナーク大会に出ることになっているんだ。
- Reiko:
- え~、そうなんですか~!!??
- Keali'i:
-
うん、なぜかというと、コンサートの回数を減らしたかったからね。もう若くはないし(笑)。
バンドとハラウを従えクムとして舞台で歌うケアリイ氏
でもコンサート・スケジュールを減らすと、生徒達の演技の場が少なくなってしまう。であれば、またコンペに出場してもいいかな、と。それが一つの理由。
そして何故いきなりメリー・モナークなのか、というと、去年の3月に僕の母方の叔母が亡くなってね。
生前彼女は僕のハーラウでず~っと、舞台裏のお世話をしてくれていたんだ。その叔母がある日、「死ぬ前に一度メリー・モナークに出場して欲しい」、と言ったんだよ。
そうしたらその一ヵ月後に亡くなってしまった。だからその彼女の遺言を果たす、ということでもあるんだ。
- Reiko:
- それは残念でしたね。
- Keali'i:
- 出場しようと決め、早速アンティー・ドッティーとアンティー・ルアナ(注:メリー・モナークの総責任運営者)にメールを出したら、即「2009年の大会に出場OK」というお返事をいただいたんだ。驚いたよ、早くて来年、2年は先かな?と思っていたのにいきなりだからね。
だからこれからもう、特訓を開始するよ。メリー・モナークに集中したいから、多分このインタビューを最後に猛練習に入るよ。既にテレビ取材やらドキュメンタリー取材のリクエストなどが入って、全てお断りしているんだ。大会に出るのはケアリイ・ライシェルではなくてハーラウだからね。ワヒネとミス・アロハ・フラに出場する予定なんだよ。
- Reiko:
- 楽しみですね~! ミス・アロハ・フラを選んだ基準はどのようなものですか?
- Keali'i:
- 先ず第一に踊りが上手であるのはもちろんのこと、それからプレッシャーに耐えられる性格の持ち主であるかどうか、更に自信があるかどうか。こればかりは時間と経験がものを言うからね。選んだ子はけっこう体格のいい子だよ、フイ・ヌイと呼んでいるグループの内の一人なんだ。
- Reiko:
- 確か去年のモク・オ・ケアヴェ大会のオープニング・ナイトのコンサートで踊っていましたよね?
- Keali'i:
- そう、ソロを踊っていた子の一人だよ。
- Reiko:
- エキサイティングですね~!!
- Keali'i:
- うん、とっても楽しみだよ。一番大切なのは叔母の夢を大会に出場することで叶える、ということだからね。また来年出場できるか、入賞できるか、といったことは気にしていないよ。出場することで、学ぶことがたくさんあるから、その過程をエンジョイすることは、良い経験になるよ。
- Reiko:
- クム・フラとして一番のチャレンジは何ですか?
- Keali'i:
- 今と昔では大分教え方も変化してきていると思うけど、現代っ子に教えることで一番大変なのは、一つの事に集中させる、ということだね。
今は器用貧乏のように色々なことができても、一つ秀でたことができない子が多いんだ。そこに焦点を充てて集中できるようにする、それが一番難しい。後は礼儀や社会的な常識だね。
- Reiko:
- それでは最後に読者の方々へメッセージをお願いいたします!
先ずはミュージシャンとして、それからクムとして。 - Keali'i:
- 先ずミュージシャンとしては、日本のファンの皆様に今まで僕達をサポートしてくれてありがとう、と御礼を言いたい。
クム・フラとしては、練習しなさい!(笑)それからハワイ文化のコンセプト、それから言語を理解するように努力をしてください、ということかな。
- Reiko:
- 今日は本当に長い間たくさんの面白いお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました!
ディスコグラフィー
| Kawaipunahele (カヴァイプナヘレ) |
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|---|---|
| Lei Hali'a (レイ・ハリア) |
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| E O Mai (エ・オ・マイ) |
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| Melelana (メレラナ) |
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| Ke'alaokamaile (ケアラオカマイレ) |
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| Kamahiwa (カマヒヴァ) |
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| Maluhia (マルヒア) |
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| Kamalei (カマレイ) |
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| Keali'i Reichel Live in Concert (ケアリイ・ライシェル・ライブ・イン・コンサート) |
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