オアフ島生まれ。名声あるカメハメハ・スクール、カパラマ(オアフ島キャンパス)の芸術学部のクム・フラとして従事する傍ら、独自のハーラウ、カ・レオ・オ・ラカ・イ・カ・ヒキナ・オ・カラー(Ka Leo O Laka I Ka Hikina O Ka La)のクム・フラとして2004年より活動を開始。以来フラの大会としては最高峰に位置するメリー・モナーク・フェスティバルの常連として常に上位入賞を果たしている。ハワイ文化の若き後継者として最も期待されているクム・フラである。

Reiko:
アロ~ハ、クム!今日はインタビューのお時間を作っていただきありがとうございました。
Kaleo:
こちらこそ、ありがとう。
Reiko:
それでは早速質問ですが、フラを始めたきっかけを教えてください。
Kaleo:
チャントを唱えるカレオ
そうですね、僕の家族はとても音楽好きな家族だった、ということがまず挙げられるでしょうね。母が教会の合唱団のディレクターをしていたこともあり、子供のころは家族全員が賛美歌を歌ったり、踊ったり、楽器を弾いたり、そんな音楽に溢れた環境で育ちました。
僕がフラを始めたのは6歳の頃ですが、フラのレッスンを受け始めた理由がホノルル少年合唱団なんです。当時はホノルル少年合唱団の黄金時代、といわれていた頃で、ディレクターのロイ・ハーモンが指揮する合唱団の一員として歌っていた僕は、合唱団のレパートリーとしてフラを踊るグループに配置されました。
そのグループにフラを教える担当の先生が来て、合唱団の子供たちは彼等から踊りを習っていたのです。僕が合唱団に所属していた頃は毎年違う先生が教えに来ていました。
その3人の先生の中にはクム・フラのチンキー・マホエもいましたよ。
当時、ホノルル合唱団は世界中を駆け巡るほどの人気合唱団で、有名アーティスト、ドリー・パートン(注:カントリー・シンガーとして超有名な歌手、女優、そして実業家)とツアーをしたりと、大変活発な時期でした。そんな黄金期を体験することができたのはとてもよい経験になりましたね。
Reiko:
小さい頃からすごくアクティブな生活を送っていらしたんですね!
Kaleo:
振り返ってみるとそうですね。パール・シティー市のワイアウ小学校に入ってからは、クム・フラのオラナ・アイが小学校でボランティアとしてフラを教えていたので、彼女からもフラを学びました。オラナの子供たちが同じ学校に通っていたこともあり、彼女は時間の余す限り小学校の文化教育のために貢献をしていました。大変素晴らしい人で、僕の初期のフラの基盤を築いてくれたかけがえのない人です。
Reiko:
そうなんですか!良き指導者に最初から出会われていたんですね。ではカメハメハ・スクールにはいつごろから通学されたんですか?
Kaleo:
フラを踊るカレオ
中学校から通い始めました。
でも中学に入ってからはフラはお休みすることにしたんです。とにかく合唱団の頃は年間4~50回ものパフォーマンスがあって、ちょっと燃え尽くした、という感じでした。
特に11月と12月に集中してパフォーマンスがあり、その時期は踊り続けている、といった感がありましたから。
フラの代わりにウッドベースを弾いたり、歌を歌ったり、そんなことで自分をリフレッシュさせていました。
Reiko:
休息期間を自分に与えたわけなんですね。ではいつからまた踊り始めたんですか?
Kaleo:
笑うクム
カメハメハ・スクールの高校に進学してからです。高校で教えていたクム・フラのホロウア・スタンダーに出会ったことがきっかけです。
僕が在校時代にクム・フラとして師事したのは三名、全員が学校内の教職員という立場の人たちです。
主なクム・フラはホロウア・スタンダーで、彼からはフラの踊りを学びました。そして芸術学部の学長であったランディー・フォングと本部の入学者選抜監修をしていたウェイン・ケアヒ・チャング等にも学びました。
ケアヒ・チャングはホロウアの前の学内のクム・フラでしたから、教育者として素晴らしいチームワークの御三方に学ぶことができたのはラッキーなことでした。それが今や教えているのは僕だけですから責任重大、大変なことです(笑)!
Reiko:
それではクム・フラになった経緯を教えてください。
Kaleo:
宮崎モク・オ・ケアヴェ大会でのクム
僕はカメハメハ・スクールの高校を1993年に卒業しました。卒業直後から学校で教えてほしい、ということで大学生でしたが教え始めたのです。
そして学内のクム・フラとしてフラ、そしてハワイ文化等の授業を教わっていたホロウア・ステンダーより99年にウニキを受けました。
その後、クムであったホロウアが引退をしたので、僕が彼の後を継いでカメハメハ・スクールでクム・フラとして教え始めたのです。僕がウニキを受けた同期には、現在とっても活躍しているクム・フラのスノウバード・ベントーがいます。なので彼女は僕のフラ・シスターなんです。クムのホロウアはマウイ島のクム、ケリイ・タウアからウニキを受けました。
ちなみにケリイとチャールス・カウプ(クム・フラ・インタビュー第3回をご参照ください)は同時にマイキ・アイウ(注:多くの著名クム・フラを輩出させた伝説のクム・フラ)からウニキを受けたフラ・ブラザーなんです。僕は素晴らしいクム・フラ達からハワイ文化を継承することができてとても光栄に思っています。
Reiko:
そういった意味ではカメハメハ・スクールには素晴らしいクム・フラ、そして教師陣が揃っているんですね。
Kaleo:
そうですね。ノナ・ビーマーから始まって、ロバート・カジメロ、ウェイン・チャング、レイナアラ・ハイナ、ホロウラ・ステンダー、そして自分、と僕はカメハメハ・スクールの歴代六代目のクム・フラとなる訳ですから、本当に名誉なことです。
Reiko:
ご自身で評価された自分の得意分野はどのようなことですか?
Kaleo:
メリモでの一幕
そうですね、多くのクム・フラが自分の得意分野、例えば歌を歌ったり、チャントをしたり等を持っていますが、僕はフラの振り付け、踊りを作り上げるのが一番好きですし、自分でも得意とするところだと思っています。
Reiko:
カメハメハ・スクールのかの有名なソングコンテスト(アロハ便り2010年3月26日号をご参照ください!)でのホイケ・プログラムを毎年担当されているんですよね。あれは大変エンジョイできました!
Kaleo:
ありがとう、そうなんです。学校ではフラ以外には主にオリ(チャント)、それに儀式やプロトコール、しきたりについても教えています。
Reiko:
ご自分のハーラウを始めたきっかけは何ですか?
Kaleo:
やはり自分たちのクプナ、祖先、そしてハワイの人々を敬い、自分がクムから教わったことを学校の授業という枠内だけでなく、より幅広いハーラウという形式で継承していきたい、と思うようになったからですね。
ハワイのフラと文化をより多くの人々に知ってもらいたい、と願っています。
Reiko:
2011年のメリー・モナークへも出場される予定ですか?去年もまた、クムのハーラウの特徴でもある、若々しくエネルギッシュな踊りが印象的でした。
Kaleo:
カーネの衣装
多分出場するでしょう!2010年のカヒコのカーネの衣装には、実は裏話があるんです。
あの足に付けている飾りは伝統的に犬の歯を用いているのですが、ハワイにはあれだけ多くの犬歯を扱っている取引店がなくて、衣装のリサーチをしている段階でかなり悩みました。
どうやったら手に入るのか?結局米国本土のある業者から大量に仕入れることができたので何とか間に合いましたが、作るのにも一苦労でした!
Reiko:
今年もメリー・モナークでのご活躍、期待しています!今日はお忙しいスケジュールの中、お話をたくさん聞かせていただきありがとうございました!
 
~インタビュー後日談~

いつも爽やかな笑顔がステキなクム・フラ、カレオ様。(おばさん的な評価をさせていただくと彼は「王子・様」系なのです♪)
若々しいけれど、やはりクム・フラとしての威厳もしっかりとお持ちです。大変な子煩悩で愛妻家、と伺いました。これからもハワイ文化の継承者として、知性とバイタリティー溢れるすばらしいフラをたくさん届けてください!楽しみにしています♪

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