メリー・モナーク特集インタビュー
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第3回アンティー・ルアナ
本名、ルアナ・カヴェル。ヒロ生まれ、ヒロ育ちの生粋のヒロっ子である。
メリー・モナーク・フェスティバル大会、エグゼクティブ・ディレクターのドロシー・S・トンプソン女史の実娘。現在、高齢となった母の意志を継ぐべく、メリー・モナーク・フェスティバル大会のプレジデント、又実質的な運営者として活躍中。縁の下の力持ち的存在である。
- Reiko:
- Aloha! いよいよメリー・モナーク・フェスティバルを控え佳境を迎える頃ですよね。お元気ですか?
- Luana:
- アロ~ハ! お蔭様で元気にしています。
- Reiko:
- それでは先ずメリー・モナークの歴史からお話をしていただけますか?
- Luana:
- そうですね、今年で46年目を迎えたフェスティバルですが、その発端は先ず1963年当時のハワイ郡の郡長が、マウイ島ラハイナで行われていたフェスティバルを視察する為に、二人の人員を派遣したことから始まりました。
当時ヒロにはこれといった目玉イベントがなかったことから、当時の行政オフィスのスタッフ、ジーン・ウィルヘルム氏と、同じくスタッフでイベントPR担当であったアンクル・ジョージ・ナオペ氏が、ヒロの町興しの為に起案を任されたのです。
大会期間は毎晩会場にて監修される
アンティー
マウイ島から戻った二人は「メリー・モナーク・フェスティバル」を提案し、そのフェスティバルの実行委員会が設立されました。
初年は1964年、 フェスティバルは4日間行われました。最初の数年間は一般的なフェスティバルとして、戴冠式や髭コンテスト、のど自慢、ハワイ・コールズ等、およそフラとはまったく関係ない催し物を行っていたのです。ですがフェスティバルは開始されたものの、行政機関の方針が変更され、指導的立場からフェスティバルを引っ張る存在がいなくなり、スタートから5年後には、フェスティバルも中止に追い込まれる寸前の状況となってしまったのです。
そんな折、1968年に私の母であるドロシー・トンプソンが委員長の立場にボランティアとして志願しました。それから母は、その時既にホノルルに引っ越してしまっていたアンクル・ジョージ・ナオペに、またフェスティバルを手伝ってもらえないか頼みました。そして信頼の置けるクム・フラ達を紹介してもらい、アンクル・ジョージと共に相談を重ね、現在のカラーカウア王を称えるフラの大会として、メリー・モナーク・フェスティバルの土台を作ったのです。
大会終了後の満面の笑みが成功を
物語っている
なので「フラの大会」としてのメリー・モナーク・フェスティバルは、実際1971年から始まったのです。それはハワイ州で初めて行われたフラの大会でもあったんですよ。
そして1976年からは男性部門であるカーネ・ディビジョンも加わり、やっと現在の大会の形態になったんです。
- Reiko:
- そうだったんですか~!とっても奥深い歴史があったんですね。
- Luana:
- 大会の歴史を最初から知っている人は、今となってはそんなに多くないですからね。でも、大勢のボランティアの人達の努力のお陰で大会が行われていることは、今も昔も少しも変わってませんけれどね。
- Reiko:
- アテンィーはいつ頃からメリー・モナークに関わり始めたんですか?
- Luana:
-
そうね、私が関わり始めたのは、1977年の大会14回目の年からだったと思うわ。
先ず最初にチケット販売、それから当時はグロッグ・ショップと呼ばれていた飲食店のような所があって、その二箇所の手伝いをしていました。
- Reiko:
- そして運営のお手伝いを始めたのは、どれくらい前からですか?
- Luana:
- そうね、母のやっていることを受け継ぐ形で手伝いを始めたのは、だいたい6~7年位前からになるかしら?
- Reiko:
- いかがですか?
- Luana:
-
とっても大変な仕事よ!フルタイムの仕事とさほど変わりないわね。
5年前のメリモのスタッフ・ジャケットを着て
フェスティバル自体がとっても大きなイベントに成長した、と言うことももちろんあると思うけど、余りにも大変なので、母に「今までどうやって仕事をこなしていたの?」、と聞いたことがあるくらいです。
フェスティバルが大きくなるにつれ、一人で全てをこなす事は到底無理だということが判ってきたので、私の妹や弟、末娘、それにもちろんジョージ(MMインタビュー#1参照)等、その他大勢の人々を一同に巻き込んで仕事をこなしているんですよ!
現在は娘のキャシーをゆくゆくは私の跡継ぎとなるよう、仕込んでいるところです。娘は私のように余裕のある修行期間がないから、ちょっと大変かもしれませんね。
何せ私は母の傍らでこの仕事を手伝い始めて、今年で31年目ですから。
私が今年で69歳と言うことを考えても、娘には私の様な長い期間修行をする猶予が無いんです!
- Reiko:
- 実際の年齢を聞いて驚きました。とってもお若く見えますね!
ところで、このメリー・モナーク・フェスティバルに関わってきて、アンティーにとって一番好きなポイントは何ですか? - Luana:
-
そうですね…クム・フラやダンサー達が、フラやハワイの文化に対し抱く愛情や情熱には本当に毎年驚かされますし、感動します。とても奥深い人達なので、そのような彼等や彼女達と触れ合い、交流し、お互いを理解しあう、ということはとても楽しいことですね。

大会期間中舞台上、受賞者に賞を授与するアンティー
なので毎年参加される皆さんと「トークストーリー」(ハワイのロコの表現で、お喋りすること)をするのが、いつも一番楽しみにしていることなんですよ。
- Reiko:
- 過去の大会で一番印象に残っているのはどの大会ですか?
- Luana:
- それはなんと言っても1986年の大会中に大嵐のお陰で舞台が真っ暗になり、大停電が起きた年でしょうね!ミス・アロハ・フラで優勝したのがレイモミ・ヌウヒヴァだったわね。
- Reiko:
- そんなすごい事件が過去にあったとは知りませんでした~!しかも嵐に停電とはすごいですね。
- Luana:
- そうでしょう?当時はチャントのコンテストがあって、クム・フラにその年のチャントのお題を決めてもらっていたんです。それでその年は、あるクム・フラが選んだお題が「嵐」だった。
その「ヒナの嵐」、というチャントが詠唱されたら、やはりというか、ものすごい風が吹きまくり、なんと会場外にあった変圧器が嵐のお陰で壊れてしまい、会場内が突然真っ暗になってしまったのよ!
- Reiko:
- え~!?それはびっくりですね!
- Luana:
- 本当にびっくりしたわよ!丁度アンクル・ジョニーのハーラウが舞台に上がった直後だったの。それでスタッフやクムたちが観衆を落ち着かせる為に、ランプを手に持ち、会場全員が一緒になって歌を歌ったりして、何とか人々がパニックに陥らないよう努力していたのが印象に残っているわね。
でもってハワイの人たちは迷信深いから、「あれは絶対嵐のチャントを題材なんかにしたから、嵐の神を呼んでしまったんだ」と皆が口を揃えて話していたわ。忘れられない大会の一つですね。
- Reiko:
- もし何かを変えることができたら、何をどう変えたいですか?
- Luana:
-
苦労しているハーラウのお手伝いができるようになるといいな、と常に思っています。
大会に出場する為には、ホノルルのハーラウ等は金銭的に本当に大変な思いをして頑張ってくるわけですよね。
奮闘しているハーラウは大変だと思います。だからなんとか援助したいと思うけれど、公平にする為には、毎年援助できるようにしていかなければならない。
このホワイト・ボードに出場者の予定が書かれている。
こちらはワヒネ・グループのリスト
となると、これがなかなか難しいことなの。多くのハワイのハーラウが日本へ行くのも、一つはメリー・モナークの資金作りをしたいからではないかしら、と思ったりもします。カヒコとアウアナと併せてたった7分間の為に、巨額のお金を投資しなければならないですからね。どのハーラウも大変苦労していると思います。
- Reiko:
- 日本へは何回もいらしてますよね。
- Luana:
- はい、伊香保に行ったのが1997年だったと思うので、その時が初めて日本に行ったときです。日本人は本当にやさしくて、礼儀正しいし、親切で思いやりのある人達ばっかりで、本当にいい思い出しかありません。
日本食も大好きです!私には日本人の血が流れているので、とても誇りに思っているんですよ。父方の祖父が広島県出身の日本人だったのです。大変厳しい人でしたけれど、優しい時はとても優しかったのを覚えています。
- Reiko:
- 日本人でもいらしたんですね。それはとても親しみを感じてしまいます!それでは最後に読者の皆様へメッセージをお願いいたします。
- Luana:
- 日本の皆様がハワイの文化やフラに対して深い愛情を持ち、より深く理解しようとされていることに対し、本当に心から感謝しています。
大変熱心に勉強し、ハワイへいらしたり、またクムフラを日本へ呼んだり、一生懸命学ぼうとしていらっしゃる。
そのようにハワイに対する情熱を持ってくださることを、本当に嬉しく思っています。
- Reiko:
- 本日は大会前のお忙しいところ、長い間いろいろなお話を聞かせていただき本当にありがとうございました!
インタビュー後日談:
小柄で優しい声でお話される本当に「普通」のアンティー(小母さん、失礼!)、というのが第一印象として残るほど、飾り気がなく、実直な人。
心からハワイの文化、フラを愛し、それを最もよい形で継承、伝承していくことに対し、惜しみない努力を注ぎ込まれている。その深く、大きいアンティーのアロハ・スピリットに敬服いたします!