1964年ヒロに生まれる。ヒロ在住。アンクル・ジョニー・ラム・ホーのハラウ、フラ・ハラウ・オ・カ・ウア・カニ・レフアにて幼少の頃からフラを習い始める。18歳のとき、ミス・アロハ・フラに出場し、見事十二代目ミス・アロハ・フラの座を射止め優勝する。現在不動産業のエージェントとして勤務する傍ら、3人の息子を育て、多忙を極める日々を送っている。アンクル・ジョニーのアラカイを長年務めるアンティー・ディーディーは実の叔母、そして彼女の娘である2001年の元ミス・アロハ・フラのナターシャ・オダは実の従姉妹、というフラ一族の出身である。
ハワイ島ヒロが年間を通して最も賑わいを見せるのは、メリー・モナーク・フェスティバルが開催される時の一週間。普段はゆっくりのんびりペースのヒロの街もこのときばかりは活気と熱気に満ち溢れます。
2009年に第46回目を迎える当フェスティバルは、フラ界のオリンピックとも称されており、数多くあるフラの大会の中でも最高峰の大会とされています。その中でも、大会初日に行われるミス・アロハ・フラのコンペティションは、フラを踊る女の子であれば誰しもが一度は憧れる栄冠として大会期間中、最も注目を浴びるタイトルです。
- Reiko:
- Aloha! 今日はインタビューのお時間を作っていただきありがとうございます。当時の貴重なお話しが聞けるチャンスということで、とっても楽しみにしていたんですよ!
早速ですが、フラはどのようなきっかけで何歳から始めたんですか? - Dayna:
- 7歳のときに始めました。当事ヒロにはなんにもやる事が無かったのよ(笑)!私には姉が四人と妹が一人いますが、一番上の姉がアンクル・ジョニーの姪っ子のメイ・アマナと親友だったのです。なのでよく一緒に遊びました。それでメイにくっついてフラのレッスンに顔を出し始めたのがきっかけです。
当初レッスンはアンクル・ジョニーのお母さんの家で行われていたの。内庭にラナイがあって、そこでよくレッスンを受けたのを覚えているわ。私の一番好きな踊りはタヒチアンだったわね。
- Reiko:
- ということはいろいろな踊りを習っていたのですか?
- Dayna:
-
そうね。フラ・アウアナ、フラ・カヒコ、タヒチアン、それにマオリの踊りも。ポリネシアン・ショーで披露する踊りを全て習っていたの。
船上ショーでポリネシアンも踊っていた頃。
手前の小さな女の子はナターシャ・オダ、
2001年のミス・アロハ・フラだ!
それはなぜかと言うと、ルアウ(ハワイアン・スタイルのパーティー)やクルーズ船上でのショーをアンクルが担当していたからで、毎週月曜と火曜の夜にクルーズ船のショーをやっていました。
- Reiko:
- どんなショーだったんですか?
- Dayna:
- 先ず、タヒチアン・ダンスでショーが始まって、次にカヒコ、アウアナ、マオリ、アパリマ、そして最後に又タヒチアンで終了する、という構成。楽しかったわよ!最近余りそういうショーをやらなくなったのは残念ね。
- Reiko:
- メリー・モナークに初参加したのは幾つのときですか?
- Dayna:
-
そうね、メリー・モナークが始まったのは1971年で、私がメリー・モナークに初参加したのは1977年。年齢制限が13歳以上ということだったので、その年齢に達した年に初参加したの。
1983年のメリー・モナークのチケット。
会場の名前と入場料に注目!
その当事、メリー・モナーク大会は現在行われているイーディス・カナカオレ・テニス・スタジアムではなくて、近くのシビック・オードトリアムで開かれていたのよ。
- Reiko:
- 会場が今とは違う場所だったなんてそれは知りませんでした!
- Dayna:
- 初参加した年は私のグループ以外にもう一つ上級者のグループがアンクル・ジョニーのハーラウから出ることになっていた。でも同じハーラウから一つ以上のグループは参加できない決まりなの。
その為、当時のアンクルの姪のトーニー(アントワネット・アマナ)がアラカイ(クム・フラのアシスタントを勤める人のこと)として私達の若いグループを教えていたので、私達は彼女のハーラウとして出場するという、ユニークな経緯があったわ。
- Reiko:
- それも興味深いですね。それで初出場をしたことからメリー・モナーク、そしてミス・アロハ・フラに惹かれ始めた?
- Dayna:
-
そうね、初出場当時はグループとして参加することが楽しいという気持ちから意欲を持って取り組んでいました。
でも年齢を重ねるごとにミス・アロハ・フラに対しての強い憧れと、いつかは自分もなりたい、という情熱を持つようになりました。やはり誰しもが憧れるタイトルだから。
私の青春は本当にフラしかなかったのよ~!学校で部活などのスポーツをすることはしていたけれど、アンクルは他の活動をしているということに対してあんまり良い顔をしませんでしたね~!チアリーダーとか、バスケットとかいろいろやっていたけれど、フラは常に優先順位では一番トップでした。
- Reiko:
- どのようにしてミス・アロハ・フラに出場するダンサーに選ばれたのですか?
- Dayna:
-
ミス・アロハ・フラのダンサーに選ばれるには、ある程度の年齢であることと、それに適した経歴がないともちろん選ばれることはできないわね。面白いことにテリー(カウラ・カマヘレ=1980年のミス・アロハ・フラでアンクル・ジョニーのハーラウから初めてミス・アロハ・フラに選ばれた人)、それからブレンダ(・アリドン=1981年にアンクル・ジョニーのハーラウから二人目のミス・アロハ・フラとなった人)の二人が出場した各年は、彼女達以外にハーラウには候補者となるダンサーはいなかった。
アウアナを踊るデイナの
希少価値の高い白黒の写真
でも私がミス・アロハ・フラの候補となった年には、私以外に、その翌年ミス・アロハ・フラになったフラ・シスターのジオラ・プアが同期にいたの。それで二人でどちらが出場できるかを競い合わなければいけなくなったのよ。
例えばアンクルが二人に対して「この曲のここを振り付けしてみなさい」、というわけ。どちらの踊りが一番アンクルの表現に近いかを採点されたり。その当時はダウンタウンKTAのすぐ近くにフラ・スタジオがあったんだけど、一本挟んだ通りまで出て、オリをチャントしたり。これはどちらがちゃんとした発声ができるかを採点されたのよ。他にもいろいろあったけどもう忘れてしまったわ!
- Reiko:
- 大変だったんですね!
- Dayna:
- 結果的に運よく私が選ばれたけど、だからといってジオラ(・プア)と何も確執は生じなかったわね。ジオラは本当に良い性格の持ち主で、翌年のミス・アロハ・フラに出場して見事、優勝したのよ。だからそのときは本当に嬉しかったわ!
- Reiko:
- ということはアンクル・ジョニーのハーラウからは連続して4人ものミス・アロハ・フラが誕生したことになりますよね?
- Dayna:
-
そうね。1980年に初めてミス・アロハ・フラをハーラウから出場させ、初挑戦で優勝したのよね。私が出場したときはもう既に二人も優勝者がうちのハーラウから出ていたし、その年はチンキー・マホエのハーラウの女の子が上手くてかなりの接戦だったのよ。
当時のフォトアルバムを懐かしそうに眺めるデイナ
だからアンクル・ジョニーのハラウから三回も連続して優勝者が出るなんて有り得ない、絶対ダメだ、と思っていた程だったわ!(と言って記念すべくメリーモナーク関連の貴重な写真が詰まったフォトアルバムを見せてくれました)ほら、これがアウアナの時の写真。当時はテレビ中継なんかないし、この写真も誰かが好意で撮ってくれたものばかり。でも欲しいという人にあげたりしてあまりいいのは残っていないかも!
- Reiko:
- ものすごく貴重な記録写真集ですよね~。この写真のトロフィーはまだあるんですか?
- Dayna:
-
これには後日談があるの。私の出場した年は初めて入場料を観客が支払って観戦した年だったので、なんと私の時から賞金が出たのね。 それで1位の優勝金として$700.00受賞したわけ。もう有頂天でね(笑)!当時の私達にしてみれば大金よ~!賞金を受賞した初代ミス・アロハだものね。嬉しかったわ♪それと、ウリウリの付いたトロフィーとイプヘケも優勝品としていただいたの。
受賞式でまだ初々しさが残る表情のデイナ
でも、アンクルがイプヘケを叩いてくれたお陰で優勝できたわけだから、誰かの意見もあり、私が賞品として受賞したイプヘケをアンクルにその夜、差し上げたわけ。
そしたらなんと次の日のカーネ、それからワヒネの総合優勝と結局うちのハーラウが優勝した部門の賞品として、アンクルはイプヘケを最終的に合計6個も受賞したのよ!でも、まさか一度プレゼントした物を自分のクム・フラに向かって「返してください」なんて言えないじゃない?だからせっかく優勝者としていただいた賞品の立派なイプヘケは私の手元には残らず、おまけにトロフィーに付いてたウリウリは長年の埃と湿気でダメになってゴミ箱へ!
だから何にも残っていないのよ~(爆笑)!!かの有名なミス・アロハ・フラの優勝者だけが貰えるハワイアン・ジュエリーのブレスレットだって、私達の時代には未だ無かったものね!
- Reiko:
- 今と昔とではまるで違いますね~!ところでミス・アロハ・フラの大会で着た優勝ドレスを見せていただけますか?
- Dayna:
-
(クローゼットからドレスを取り出し)ほら、これがアウアナの時に着た、グリーンのベルベット地のドレス!随分しわくちゃになってるわね~、それになんだかダサイ(爆笑)!
このドレスが記念すべく優勝を
決めたホロクー・ドレスだ!
このドレスの色は、カウナオア、と呼ばれている蔓系(つる系)の植物の色を表しているので緑なのよ。ハワイの人はこれを使ってレイを作ったりするの。だから、私がしているレイもこのカウナオアで作られた物なのよ。
前年までの他のミス・アロハはハワイ島を表す赤や孔雀を表す青など、とってもエレガントな色ばかりだったので、内心この色にドレスが決まったときは「エ~なんでこんな冴えない色なの~?!」ってがっかりしたわ。だって蔓といっても雑草に近いような植物なんだもの(笑)!
- Reiko:
- でも26年も前のドレスですものね。大切に保管されているということは、当然かもしれませんが、歴史の一部ですから現存していることは素晴らしいことですよ!
- Dayna:
- ベルベットのドレスで生地が重いから踊るのに大変だったのよ~。けっこうテンポの速い曲だったし、ペチコートも下にはいてるでしょ?足裁きに苦労したわ。
- Reiko:
- 衣装などはどうやってデザインされたんですか?
- Dayna:
- ドレスや髪型まで全てアンクル・ジョニーがイメージしたことなのよ。
アンクルのお姉さんのアンティー・マア、それから今も現役でアラカイとして活躍しているアンティー・ディーディーが、アンクルのイメージを具現化するお手伝いの役割だったの。だからこのドレスも写真に写っている髪型やレイ等も全て、アンクルが創造したもの。
- Reiko:
- クム・フラとしてはアンクル・ジョニーはどんな人ですか?
- Dayna:
-
出場するダンサーとして、彼の元で踊れるということにとても誇りを持って踊ることが出来ました。
カヒコの踊りのテーマは
ふくろうだった
というのも当時のアンクルはとにかく「奇才」として定評がありましたから。厳しい人でしたけれど。特徴的なのは私達が踊る曲は全てアンクル・ジョニーのオリジナル曲だった、ということでしょうか。大会のときもアンクルが歌って演奏してくれるんですよ。逆にいえば、アンクル・ジョニーの作曲した音楽以外の曲は踊ったことがなかった、ということ。
今のハーラウの子達は他者の曲やスタンダードもレパトリーとして踊れるけれど、昔私達の時代にはそれがアンクルの曲じゃないと踊れなくて困ったこともあったのよ!
- Reiko:
- 観客には分からない苦労や裏話がた~くさんあるんですね!カヒコはどんな衣装だったんですか?
- Dayna:
- カヒコのフラの内容はプエオ(ハワイ原産の鳥)だったので、プエオの描かれた衣装だったのよ。物凄く早いテンポでまるで走っているみたいだったわ!今のフラはゆっくりじっくり見せる、という感じで変わってきたわね。
- Reiko:
- アウアナとカヒコとではどちらが難しかったですか?
- Dayna:
- そうですね、両方もちろん大変ですけど、あえて言うならアウアナでしょうか?カヒコは素足だし、とにかく踊ることに集中していればいい、という感じ。アウアナは踊りのステップ、表現力はもちろんのこと、それ以外に注意しなければいけないことが数多くありますからね。
特に私の場合はドレスがホロクー(後ろに長いすそが付いた伝統的なハワイのドレススタイル)だったし、ペチコートは付けてるし、靴はヒールだったしと大変尽くめだったわ!
- Reiko:
- 舞台で踊った後、自分で「やった、優勝だ!」という実感はありましたか?
- Dayna:
- それはなかったですね。自分の踊りにとにかく集中していることが重要だったから。
自分のカヒコの出番が終わったら次のアウアナの準備をしなければいけないので、他の人の出来具合を見ることも無かったわ。どういう評価をされているか、ということもまったく分かりませんでした。ただ自分ができる限りのことはやった、という充実感はありましたけれどね。
- Reiko:
- ミス・アロハ・フラになったときの一番の思い出、又は大変だったことは何ですか?
- Dayna:
-
そうですね。昔は今みたいにメリー・モナークでミス・アロハ・フラになったから、ということで特別な扱いは一切ありませんでしたね。
まさにハワイアン・ガール!
若き日のデイナちゃん!
今は日本に招待されたり、さまざまな形でその努力が認められる場があるので、ある意味でうらやましいです!私達の時代にはそういった華やかさはありませんでした。とにかく練習に明け暮れる毎日で、半年間の間、週五日、毎日最低2時間は練習しましたからね。
でも何でそこまでできたかというと、とにかくアンクル・ジョニーに選ばれたという誇り、そしてアンクル・ジョニーのために頑張りたい、という思いで一杯だったからなんです。それ以外に理由はありませんでした。選ばれたのだから頑張らないといけない、という責任でしょうか。
- Reiko:
- すばらしいですね。優勝した後はどうしていたんですか?
- Dayna:
- ハーラウでの踊りは続け、メリー・モナークにも出場はしていました。
でも大学に入学し、ホノルル、それからマウイ島に移り、マウイのホテルで仕事をしているときに、主人のデイビッドと出会い結婚しました。今年で結婚17年になります!
- Reiko:
- ところでデイナさんは日系人なんですか?
- Dayna:
- そう、三世です。私の母方の祖父は大阪からヒロに労働者としてやってきた前田、という苗字の人なんですよ。
実は祖父には妻子がいたんですが、ハワイへの船旅の途中、病気になって日本に戻れなくなってしまったんです。なので、いつか大阪の未だ見ず知らずの親戚を探し当てないと、と姉妹でよく話しているんですよ!
- Reiko:
- お祖父様は数奇な運命を歩まれたんですね。さて、現在の様子を教えてください。今でもフラを踊っていますか?
- Dayna:
-
残念ながら時間がなくて踊ってはいないわ。数年前に元ミス・アロハ・フラということで日本に3回ほど行ったけど、それ以来踊っていないの。
スポーツ万能&ハッピーなデイナの家族
息子達の面倒が大変!一番上の子が野球でけっこう有望株なので、もしかして大成するかもしれない。そしたら貢いだ甲斐あって、今までの努力もやっと報われるかもしれませんね(笑)!
- Reiko:
- 本日は長い間、いろいろなお話を聞かせていただき本当にありがとうございました!
インタビュー後日談:
デイナさんとは共通の友達を介して「ママ友」として知り合いました。その友達から「彼女は元ミス・アロハ・フラなのよ~!」と教えてもらわなければ絶対に分からないほど普段は「普通の人」。とても厳しいフラの修行をしてミス・アロハ・フラ、というフラの世界での栄冠を手にした人とは思えないほど気さくで明るい人なのです。当時の貴重な資料やお話を聞いていると、今のフラ・ダンサーにとって本当の先輩という、歴代ミス・アロハの時代の重みを感じました!
元モデルというハンサムなだんな様と、スポーツ万能な三人の息子さんに囲まれて、大忙しだけど幸せ一杯のデイナさん。
そのアロハに満ちた彼女の存在は、中身もやはりその栄冠の名のとおり、「ミス・アロハ」なのだ、ととても強く印象付けられたインタビューでした!