ハワイ島ヒロ出身。クム・フラ、アンクル・ジョニー・ラム・ホーのハーラウが輩出した六人の歴代ミス・アロハ・フラの初代ミス・アロハ・フラ。優勝年は1980年、当時ハーラウはジョニー・ラム・ホー・フラ・スタジオと呼ばれていた。
その後プロのフラ・ダンサーとしてピーター・ムーン、パラニ・ヴォーン、マカハ・サンズ等の著名ミュージシャンたちとのツアーに多数参加。26年間、ハワイアン航空会社に勤務、現在も現役のフライト・アテンダントとして活躍中。

Reiko:
アロ~ハ!今日はフライトの合間の大切なオフの日にお時間を作っていただき、ありがとうございました。
早速ですが、カウラさんは何がきっかけでいくつの時からフラを始めたんですか?
Kaula:
こちらこそ、インタビューを依頼してくださり、ありがとう!私がフラを始めたきっかけと言えば、父がとにかくハワイアン・ミュージックが大好きな人で、家にいる時は必ずいろいろな音楽がかかっていたんです。なので自然と音楽に合わせて踊れる環境があったんです。
フラのレッスンを受け始めたのは6歳の頃。でも最初からアンクル・ジョニーの元で習っていたわけではないの。
ある日、母の用事の付き添いで近くの公園の遊び場にいるところをアンクルにスカウトされたのよ!
Reiko:
それは面白いいきさつですね。それでアンクル・ジョニーのハーラウへ入ったんですか?
Kaula:
そうなの。母はその時アンクルに「もう他のハーラウに入っているので。」と断ったのに、彼は「なぜだ?」って譲らなかったんですって。
そうしたらアンクルが遊んでいる私のところへやってきて、「女王様になりたくない?」って聞いたわけ。もちろん私は「女王さまになりたい!」って答えたわ(笑)!
それで母がその後何回もアンクルに誘われて、その「執拗」(笑)なスカウトマン振りに折れたってわけ。私が10歳のときだったわ。
アンクル・ジョニーは子供との相性がとってもいいのよね。本当に面倒見の良い人なのよ。
Reiko:
それはその後ミス・アロハ・フラとなって、本当の「女王様」になったことで、アンクル・ジョニーに先見の目があったということが実証されましたね♪
では何歳のときにミス・アロハ・フラの栄冠を手にされたんですか?
Kaula:
18歳のときだから、ハーラウに入ってから約8年後、ということになるわね。
Reiko:
今年のメリー・モナーク大会の期間にイミロア天文学センターが主催したパネル・ディスカッションでは、アンクル・ジョニーのハーラウの歴代ミス・アロハ・フラが一同に集まる、という豪華な顔合わせがありましたね。
アンクル・ジョニーからミス・アロハ・フラに選抜された、というその理由はなんだったと思いますか?
Kaula:
歴代ミス・アロハ・フラがずらりと並んだ!
歴代ミス・アロハ・フラがずらりと並んだ!
多分、私がただ興味半分で踊っているのではないということ、また、本当に音楽の意味を伝えることに真剣だった、ということを理解していたからではないでしょうか?
先ほども話しに挙がりましたが、私は小さい頃から音楽に囲まれて育ったので、そんな環境から音楽に対する親しみが深かったこともあるでしょうね。
私が育った1970年代は、ちょうどハワイアン・ミュージックが世の中に認められ始めた頃だったので、レコードのライナーノーツなどもハワイ語と英語の対訳などが付いていたわ。それで、私は常にアンクルにあれこれと質問したりしていたの。
とにかくフラのレッスンに通うだけではなく、それ以上のことにも興味がたくさんあったのね。ただ踊るこだけではなく、より大きな意味で踊りたい、という情熱を抱いていたから、それで選んでくださったんだと思うわ。
Reiko:
すばらしい師弟関係ですね。
Kaula:
そうね、今でもそうだけど、アンクルのハーラウはまるで私のもうひとつの家族のような存在なの。現在アンクルのアラカイであるアンティー・ディーディーにも本当にお世話になったし、彼女もアンクルもまるでもう一人の育ての親のような存在なのよ。
Reiko:
優勝されたときのカヒコとアウアナはどんな内容の踊りだったんですか?
Kaula:
カヒコはアンクルがチャントを作詞したもの。
内容はペレがハワイ島にやってきて、プナ地方を植物でいっぱいにしたり、ペレのハワイ島での活動を詠った結構激しい内容のチャントだったわ。
衣装は火山活動を表す赤やオレンジ色で縁の辺が溶岩を表す灰色だったかしら。
アウアナは「ハアヘオ・エ・カ・マヌ・ピカケ(孔雀の様に誇り高く)」という曲、もちろんアンクルが作詞作曲した歌よ。衣装は孔雀の羽を後ろに縫い付けたとても個性的なホロクー・ドレスだったのよ。
でも振り付けが大会2週間前まで変更変更で覚えるのが大変だったわ!
Reiko:
当然ですが、ミス・アロハ・フラの栄冠を手にされるまでには人並みならぬ努力があったわけですね。優勝したことで一番思い出に残っていることはなんですか?
Kaula:
地元新聞紙に載った当時の記事
地元新聞紙に載った当時の記事
そうねえ、今みたいにテレビ中継されて映像も販売されている、という時代ではなかったから、すべてがぼんやりとした思い出だわ(笑)!
大会自体もあの頃は今ほどの人気はなかったのよ。思い返してみれば、私が大会に出場するのに有利だったと思う点があるわ。
地元で育った子だから、アンティー・ドッティーやアンティー・ルアナなどとも顔見知りで、家も会場のすぐ近くだったので、大会の雰囲気にも慣れていたし。他島の子だったら、大会を目前にして初めての場所に来て、初めての人たちに会って、緊張しちゃうでしょ。私はそれがなかったからラッキーだったわよ。
そうそう、子供の頃はヒロのケアウカハ地区の小学校に通っていたんだけど、私のハワイ語の先生はなんと、あのアンティー・イーディス・カナカオレだったのよ!
そして大学でのハワイ語の先生はアンティー・イーディスの娘さんのアンティー・プアラニ。
周りにものすごく優秀な人たちがたくさんいた、ということも含め、あの時代のことはすべてが良い思い出になっているわね。
Reiko:
それでは現在の様子を教えてください。今でもフラを踊っていっらしゃいますか?
Kaula:
普段はハワイアン航空のフライトアテンダントとして勤務している以外は、二人の娘の母親としてがんばっています。長女は21歳、次女は13歳、二人ともフラを習っているんですよ。
上の娘はマヌ・ボイドのハーラウで踊っているの。本来ならばアンクル・ジョニーのハーラウで踊ってもらいたかったけれど、ホノルルからヒロにフラのレッスンのために通うのは大変でしょ?だから断念してマヌのところに入団したの。彼はアンクル・ジョニーのこともリスペクトして理解の深い人だから、安心して任せられるので満足しています。
私は、アンクル・ジョニーから依頼があれば即座にいつでも踊るわよ!それ以外はアンクル・ジョニーのハーラウのソリストとしてフラを踊る以外は、他のハーラウとは踊らないから。。。 私たちは忠誠心が強いのよ♪
でもなんといっても、いつも思うのは、ハワイの文化や伝統を目の当たりにする環境で育つことができた、ということに本当に感謝しているわ。 振り返ってみるとすばらしい経験を積むことができた、と常に感謝の気持ちでいっぱいになるの。私は純粋なハワイアンではないけれど、気持ちは100パーセントハワイアン、つまり心からハワイの文化と伝統が大好きなのよ。
Reiko:
それでは最後に日本の読者の皆様へのメッセージをお願いいたします。
Kaula:
そうですね、日本の方は本当に誠実にハワイの文化を学ぼうとされている、その真摯な姿勢にハワイ側の者としていつも感謝しています。
フラ・ダンサーとしていえることは、踊るときは、とにかく心をこめて踊ること。これが踊り手として一番大事なことなんです。
これは審査員としても絶対に感じることですね。
Reiko:
今日はお忙しいところ、たくさんのお話を聞かせていただき本当にありがとうございました!

インタビュー後日談:

現在はハワイアン航空のスッチーです
現在はハワイアン航空のスッチーです

インタビュー時は笑いの耐えないとっても楽しい時間を過ごすことができました。
「私は半分ハワイアン、残り半分ポルチギー(ポルトガル人を指すピジョン用語)だからよくしゃべるでしょ~(笑)!」と、とにかく明るく、さばさばとした素敵な大人の女性。
現在はホノルルにお住まいで、カウラさんの後輩に当たるデイナ・オダ・ケルさん(メリー・モナーク特集インタビュー#1参照)の話によると、娘さんも母親譲りの美しいフラ・ダンサーとして評判なんだとか。これからも現役の、踊るスッチーとして、ハワイアン航空機内を華やかな存在で満たしてくださいね!

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